責めずに前に進め

 

わたしの場合文句がある時は

いつも根底には罪悪感がある。

色々手伝ってくれているAyuに、めいっぱいのありがとうを感じつつ、アレコレ今抱えている不満をシェアした瞬間から、

自分の傲慢さと感謝の足りなさに打ちのめされる一時。

 

以前は毎回自分が驕り始めると、それに潰された。

周りで何かが起こる前に、
自分で自分を責め始めてバランスを取ろうとするのがパターンであった。

わたしはおそらくとても恵まれている方なので、

周りにいる人間たちは、なんでこの人はこれだけ人に尽くさせておいて、
文句ばっかなんだろうと思うに違いない。

 

以前はそんな風に思われているだろうと感じるだけで
とてつもない恐怖に陥ったため、

そう言われる前に自分を防御するために

さっさと自分を責めた。
人にせいにする、他人に責任をなすりつける段階は
傷ついたのは自分のせいじゃないと思えるため、楽である。

 

 

でもそれと同じくらい、自分がダメだから、と
自分を否定し責めて浸りこむのは実は、楽である。
前に進むために何が必要か。

 

それは誰のことも責めない選択だ。
自分で自分に責任が取れるようになってきた段階で、

全く別の意味で、それはとても、楽になる方法だ。
ちなみに今は、

「なんでそんなに色んなことをしてもらっておいて、文句ばっかなんだろう」

と思われているかもしれないことを思うと、

 

「わたしもそう思うわあ」

と_| ̄|○

思う。
でもそこで自分を責めることはしない。

そこで自分を責めることで、生まれるものはほとんど無いことにわたしは気づいた。
大事なことは、本音に気づくこと、
そしてネガティヴな感情を解放してゆくことであり、

むやみやたらと落ち込み自己憐憫に浸ることではない。
過去にわたしは勘違いしていたし、

自分が自分を苦しめていれば、ある意味誰も
自分のことをこれ以上傷つけることはないだろうと考えていたのだろう。

今となっては、それで誰のことも幸せにすることはできないことがわかる。

 

感謝できない自分を責めはしない代わりに、
根底にある自分のネガティヴな感覚の正体にきちんと目を向ける。

解放できれば、感謝は勝手に溢れ出す。

 

文句を言う暇があったら、自分ができることを探す。

無理はしない。好きな人にフォーカスする。
過去に関わってくれた人、今関わってくれている人、

過去も今も変わらずに支えてくれる人。

 

それがその瞬間瞬間で痛い想いがともなおうとも、

間違いなくネガティヴなものが昇華した際には

あなたを殺そうとした相手にすら

感謝の気持ちが湧き上がるだろう。

 

 

そしてそれを可能にするのは、

相手の出方ではなく、私たち自身の中にある、

愛や許しや感謝である。
精進しなさい。

飽くことなく。

 

 

わたしは人に散在迷惑をかけている。

 

その中で多くの人は、とてつもなく傷つけられたと感じるだろう。

逆もまた然りだ。

 

それを良しとして開き直るのと、

自分も相手も許し前に進んでいくのとは質が違う。
人と人が関わり続ける限り、リフレクションは起こり続ける。
わたしはそして、どんないかなるときでも、

 

今までも、これからも

人を愛し続ける。

 

 

1 Comment

  • プリンセス Posted 06/23/2016 15:37

    私は文句ばっかり、批判ばかりしているので、その声を見えないふりじゃなくて、
    ちゃんと認識することで、この7年理解できなかった人を理解できた感覚があり、
    卒業できるんじゃないかと思い始めたところです。
    微かな鍵を1つ掴んで、違うとか、もっと深い思いってなんだろうって思っていると、
    その奥のごっそりしたものが現れてくれた。

    私は人生で大きく調子に乗ったときに、人に大きく批判され、
    すべてを失ったと思ったことが度々あって、
    「神は私が傲慢だから謙虚さを教えるために、
     人を頼らないと生きられないように、弱くつくった」
    が、私の今までのモットーでした。

    でも、弱さではなく、強さとか仲間ともっと協調して生きられるきっかけをこのまいさんの言葉から得られそうで、
    時間をかけてみつけていこうと思います。

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