「 」は、愛ですよ。⑤

DSC06108

死んだ祖父さんは馬が好きで、馬を飼っていた。

たおが午年なのが私は嬉しい❤︎

 

    続き。

 

 


 

 

わたしは20代前半の頃

辰巳芳子先生にとても強い影響を受けており、

 

著書を読み漁り、料理の道に進んだ。

 

彼女の言葉で好きなフレーズがある

 

 

「料理は、愛ですよ。」

 

というものだ。

 

 

 

わたしはそれに賛同し、料理は、食べることは

直接「生きる」につながっていると思っている。

 

それは好き嫌いとか得意不得意の次元を超えたところに

存在しているとおもっている。

 

 

 

 


 

 

 

 

捨て身で病室に乗り込んだわたしに、

 

祖母は

 

 

一ミリも迷うことなく

 

「NO」と言った。

 

 

 

 

理由は、もう継いでくれる人がいるから

 

というものであった。

 

 

 

 

 

それは別にひとりである必要はないはずだが、

とにかく祖母の中では

ほかに選択肢はなく、

 

 

 

「私のような安定していない存在には継いで欲しくない」

というような

はっきりした理由ならまだマシだったが、

 

 

特に理由も曖昧なまま

 

 

わたしは仕事で松永を名乗っていることを

報告するだけのような感じで

 

 

 

 

 

わたしの

清水の舞台から飛び降りた気持ちは、

 

 

あっけないほどに

 

簡単に

 

 

小さなほうきで

はたかれて終了した。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

ずっとモヤモヤ抱えていたものが

 

とりあえず一旦吐き出せたことで

わたしはすっきりした。

 

 

家に帰る途中、まずは

 

自分が

 

何に、どこに、執着しているのか

 

その奥底に何が隠れているのかをいよいよ真剣に見つめた。

 

 

 

 

安心できる場所が欲しかっただけなのか。お金なのか。

祖父とのつながりなのか。

 

 

 

 

ひとえに「後を継ぎたい」と言っても、

いろいろな理由が奥に潜んでいるのは自分でもよくわかっていた。

 

 

 

 

 

家に着き、

 

恥をかいたとか、これからその事実がまた親戚に知れ渡り、

母に知られ、

 

 

また母がわたしのせいで

肩身の狭い思いをするかと思っただけで

 

激しくいたたまれない気持ちがした。

 

 

 

 

 

そこから、母に対して長い間

 

「わたしのせいでお母さんは松永家に怒られる」

 

と感じてきたことへ繋がった。

 

 

 

 

母は厳しかった。

でも、わたしが海外に行ったり
勝手な行動をするたびにきっと母は、

 

 

松永の家で

 

「教育が行き届いてない」とか「育て方が悪い」とか

「甘やかすからだ」

 

 

と言われてきただろう。

 

 

 

 

母は何も悪くないのに、

わたしが色々言われる代わりにきっと母は、

 

自由な娘のために

それを黙って受け止めてきたのだ。

 

 

 

 

 


 

 

 

窓際で、外からの風を受けながら、

わたしはちいさくうずくまった。

 

 

 

わたしが、

「家」に

「お金」に

「松永」に

 

 

どうしても執着していた理由は、

 

 

 

 

「母」だった。

 

 

 

 

 

わたしは、

 

母が、手に入れられなかったものを

 

母の代わりに

 

手に入れようとしていたのだ。

 

 

 

母はそれを欲しがってはいなかった。

むしろ自分で放棄して、幸せだった。

 

 

 

でもわたしは、

なぜ、母が、わたしが実家にいりびたるようにして

甘えて毎日のように両親の顔をみて

安心するように

していないのか

 

 

なぜ、近くていつでもいける距離なのに

なぜか面倒そうなのか

 

 

その奥にあるものを知りたかった。

 

 

母が、どんな気持ちで、

何を思って過ごしているのか

 

 

知りたかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、母を、

 

かわいそうだと思っていた。

 

 

 

 

外見も綺麗で、祖父に3姉妹のなかで最も可愛がられ
慈しみ育てられ、

もしかしたらもっと立派なおうちに嫁ぐこともできたのかもしれないのに

 

 

それをしなくて

 

誕生日なのに何も買ってもらわなくても平気で忘れていて笑っていて

誕生日なのに、好きなうなぎや焼肉を食べるのを

安いからという理由だけでランチにつれていかれて

 

 

そんな母を

 

 

わたしはずっと、かわいそうだと、

 

そう思っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

わたしは、自分が不幸なのも

なにをしてもどこかでつまづくのも

 

全て母が原因にあると思ってきた。

 

 

怒りと恨みと

母に対して強すぎるほどの憎しみしかないまま生きてきた。

 

 

10代のころ母が今すぐ死んで、

そして私も死ぬと

思った時期があった。

 

 

行き場のない感情を

紙の上に「しね」と狂ったように書き殴ってビリビリに破いたこともあった。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

わたしは、

 

母のことをかわいそうだと思っていたことを

知った瞬間に、

 

 

 

窓辺に泣き崩れた。

 

 

 

 

 

 

 

親の影響力は、偉大すぎるものだ。

 

それが、ポジティブだろうが、ネガティブだろうが。

 

 

誰もが人生につまづき前に進めないとき

蓋をあけてひろげてみると

 

だいたいが親への感情につながってゆく。

 

 

 

 

 

 

わたしは母にあまりに強い影響を受けすぎてきた。

 

偉大な存在に対する最大のタブー。

 

 

 

それは、

 

母を「哀れみ」「同情」することだったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

わたしは

 

窓の前で、小さな息子が脇で楽しそうに遊ぶ横で

叫ぶようにして

 

 

「お母さん、かわいそう」

と言い続けた。

 

 

ぐしゃぐしゃになりながら、すべて出し切るように

 

「かわいそう」

「かわいそう」

「お母さん、

 

かわいそう」

 

 

 

と言い続けた。

 

たおが、私の横で不思議そうに居る様子を見ながら

「おばあちゃん、かわいそうでしょ      

 

と金切り声をあげた。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、

 

結局、母に幸せになってほしかっただけだった。

 

 

好きなものを食べて、

欲しいものを買って、

 

安い靴ばかり履くんじゃなくて

もっと可愛くて高い洋服を着て

 

 

我慢せずに

 

いてほしかったのだ。

 

 

 

 

 

 


 

 

わたしは、

 

 

母に対する気持ちをしっかり感じきったことで

 

 

 

自分の執着していたことが

自分が欲しかったものではなく

 

 

母のために

 

何か目に見えないものを

とりかえそうとしていたことに気づき

 

 

そしてひとつ、

大きなものを手放した。

 

 

 

 

 

 

 

⑥へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Commentする

投稿時メールアドレスは表示されません *は必須です