書くことへの喜び

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名古屋市科学館。
1、2年前に世界最大といわれたプラネタリウムを見に行ったけど
上映の内容はさておき、音楽のセレクトがあまりに貧相で残念だったなー
せっかくなのだから、本当に良い曲を良いオーディオで流せばいいのに
カラオケのBGMみたいな安っぽい電子曲ばっかりだった覚えが。
今は変わったのか知らんけど。恋人できたらデートで出かけようっと❤︎

 

 


 

 

4月に入り、
自分ひとりの時間が増えたことで

どんどん自分を取り戻す感覚がある。

2月に体調不良で食欲不振だった衰弱時とは違い、

余分な毒を出すかのように食べる量が減って

身体が軽い。

 

 

そんな中で、いろいろな不安とか焦りとか

プレッシャーからゆっくりと解放されて

 

淡々と、「書く」ことの喜びが戻ってきた。

 

 

まあ今までも書くことは
どれだけ苦しかろうが、悲しかろうが

生きているわたしの一部みたいなもんで

 

書くことを辞めようとは思ったことはないのだが

 

 

でも最近、なんていうか

セラピストとして「ひとのこころ」について書くこととは別に

 

自分が今まで体験してきた小さな出来事であるとか

なんでもない日々で感じたことであるとか

 

 

そういうのを綴ることに

とても心地よさを感じていて

 

それが嬉しい。

 

 

 

 

たとえば感情の解放についてとか、

好きなことをしていればお金はついてくるよ!

とか、

トラウマからの脱却

とかとかは、

 

根本的に書いているひとの言葉の使い方が違うだけで

 

根本は皆書いていることは
どれも一緒。

 

 

もちろんその人それぞれの色付けがあって
発信されているわけで

そのほかの要素も関わりながら

人気があるかないかは

もちろん違ってくるけれど

 

 

それでもやっぱり、

宇宙の仕組みっていうのは

 

誰が考え出したものでもなく、

宇宙のものなんだと

腑に落ちる日々。

 

 

 

 

 

それではそんななかで、

わたしが「書く」とすれば

 

もちろん自分のことばでわかりやすく、

「孤独」についてを説明するのも楽しいのだけど

 

 

そうではなくて、

 

たとえばいつか、モレスキンのノートの紙質が変わって
どうしても気に入らなくて本社に問い合わせて

何が起こったのか聞いたりとか

 

ニューヨークのダウンタウンで
働いていたレストランで覚えたスペイン語のはなしとか

 

部屋の模様替えをしたら
ソファのしたから無くしたと思っていた
アメジストとローズクォーツのピアスの片方が見つかったとか

 

 

そういうどうでもいい小さな日常の

ひとつひとつを

 

こうして書いていくことに

よろこびを感じられるということが

 

 

何よりも幸せだ。

 

 

 

そんなスペースを、
ゆとりを、

長い間ずっと見失っていたとおもう。

 

 

 

セラピストとして、クライアントさんからの質問に答えたり
セッションに打ち込んだり

誰かの悩みにヒントを与えたり

 

そういうやりがいはそのままで

 

 

なんでもない、

本当に役に立たない

そんな Trivial なことに、

 

これからもっともっと、

目を向けていこうとそう思う。

 

 

 

 

ぐっと感動させて、
涙を流させるような記事をいつか書いて、

そういうものにこそ、価値があるのだと

そう思っていた。

 

勝手に自分に枠をはめて、
もっといいものを発信しなければ、

といつかがんじがらめになって、

苦しくなった。

 

 

 

 

でもいま、

 

こういう爽やかな1日に

ぴゅっと吹く風のように

 

 

ただ、意味はなかったけど

さらっと読んで、

なんとなく心地よかったな

 

とその瞬間に忘れ去られるような

 

 

そんなものこそ、

 

 

「わたし」を構成している大切な要素であって

 

それは誰もが共通して知っている

宇宙の仕組みではなくて

 

 

「わたし」を通してでしか

吹くことのできない風だのだと思う。

 

 

 

からだの中の小さな細胞が、

こきざみにダンスするような

静かなワクワクとともに

 

これからも
時間をかけて

 

言葉をつむいでいけるといいな。

 

 

 

 

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