Bohr again ②

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2012年7月。

 

ボアの再会 ①つづき

 

 

 

 

今回のチャーリーとの再会まで、約3年。

 

 

 

当時現地の大学に通っていたわたしの英語力から、

一切使わなくなって、
もどかしいほどに衰えた現在。

 

 

 

使わないものは、ただ、鈍りつづける。

 

ものすごくナーバスで、

メールのやりとりに、
スカイプを開く瞬間まで、相当なエネルギーを要した。

 

たった小さな連絡をするだけで、
「これで合ってるっけ?」

がわからなくなっている自分に、

本当にイラついた。

 

 

 

 

 

Emotional と Drama についての記事を
書き終えた頃

 

 

テレビ電話がつながり、久しぶりにチャーリーの顔を拝む。

 

 

 

 

3年ぶりとは思えないほど、
そして「英語」にものすごく
構えていたのは一体なんだったのか、
「あれ?おととい普通にお茶したっけ?」

と狐につままれるほど
いきなり弾丸のごとく喋り始めるチャーリー。

 

 

 

かなりブランクがあったのもあり、
生きている英語に触れたわたしは

そのスピードに瞬時に圧倒された。

 

 

 

(うわあ、ついていけない!)

と瞬時に身体がこわばって、聞き取るのにかなりの集中力を、要した。

 

 

 

つたない英語で、

 

 

”チャーリー、

英語にかなり長いあいだ触れていなくって、

いまチャーリーが話すスピードに、ついてけてない・・・。”

 

 

 

と発した。

 

 

その次に、

「だから、最初のうち少しゆっくりお願いします・・・・・」

と言おうとしたのだが、
そこに覆いかぶさるように、

 

 

 

”わかってるよ!だからこのまま喋るんだってば!
すぐ取り戻せるようにビシバシ行くから!
マイに関してはそんな甘っちょろいこと通用させないから大丈夫!”

 

 

チャーリーは、

ものすごく早口の英語で言った。

 

 

 

 

 

 

わたしは、もうその瞬間に、
反り返って笑いが止まらなくなり、

 

心の底から「再会」してよかったと、

 

あのときの、当時のたまらない高揚感が

身体中にもういちど

 

駆け巡るのを感じた。

 

 

 

 

 

チャーリーは、興奮していた。

 

わたしのナーバス(緊張)は、チャーリーに次々引っ張られ、

一瞬でドキドキワクワクの喜びに転換していく。

 

 

 

 

 

 

彼は、何年も、
大勢の日本人に英語を教えてきた。

 

 

 

”おれ、いまでも相当幅広く、本当に様々なレベルの生徒がいて
面白いやつもめんどくさいやつも、
ずっと全部やってきたけど、

その長年のなかでも、

マイとトモコが、

とにかく
その中でも一番頭が良くて面白くて
おれにとって最高の生徒だったんだよ・・・・

 

 

おまえらが恋しいって何度思い出してたことか!”

 

 

 

 

”もちろんどの生徒も
同じようにかわいいし、大事だけど

この自分のこのスピードとペースに
そのまんまピッタリついてこられることは

ほとんどないから、もう何かゆっくりしゃべろうとするだけで

毎度調子狂っちゃって。

 

 

だからね、

遠慮なくいかせてもらうぜい!”

 

 

 

 

チャーリーは、
本当に楽しそうに、

 

当時と同じように、ものすごい早口で、
「わたしの大好きな英語」を喋り倒した。

 

 

 

最初から最後まで
楽しすぎて何かつっかえていたものが

スコーンと外れたような、

 

あっというまの、60分だった。

 

 

 

 

 


 

 

わたしはその後、

時々褒められることのひとつ

 

「頭がいい」というフレーズに

なにか自分の中のスイッチを押されるような
感覚に襲われることに、気づいた。

 

 

外見のことを褒められることも、
ほかの色々な表現でありがたい言葉をいただくことも

 

どれも本当にうれしいには違いないけれど、

 

 

おそらく私は、

自分が長い間、
「普通のひとよりも、いろんなことができない」

「私は人より劣っている」

「自分は頭が悪い」

 

という呪縛のなかで生きてきたため、

 

 

「頭がいい」ひとに対して変な憧れと
コンプレックスをずっと抱いてきた。

 

 

学歴も中途半端な私は、
有名な大学を出ている人に、いつも反応した。

 

家柄も庶民中の庶民だった私は、
ともちゃんのような、「親戚一同お医者さんです」

 

とかに、激しく反応した。

 

 

 

 

わたしは、その自分の中の虚を必死で埋めるがごとく、

 

気づいたら「頭の良い」ひとで

周りを囲もうとした。

 

 

 

逆説的で面白いのだが、
周りにそういう人たちを置くことで、
頭の回転の早い人たちと話すことで、

 

ますます私の潜在意識は

 

「やっぱり自分は頭が悪い」

確認し、思い込むような環境を、

見事に作りだすのだ。

 

 

 

 

それが全て幻想だったことにようやく気づきはじめたころ、

 

 

「まいさんは地頭がいいんですよ!」

と言われて、

 

これまた

「地頭」の意味がわからなくてキョトンとしたり、
ちょっと騙されているような気分になったりした。

 

 

 

 

1時間、普段非常に偏ってしまっている
思考の部分のコリを

見事にほぐしてもらった私は、

 

チャーリーから言われた

「まいは優秀、賢い!」という言葉を

 

いまいちどかみ締めながら
パソコンに向かった。

 

 

 

 

 

そして、思うに、

 

「認められて嬉しい」ことはきっと、

 

自分がそれだけそこに対して一生懸命になってきた
部分なんだろうとわかる。

 

 

外見は、わたしはたまたまこの目鼻立で生まれてきて、
両親から譲られた体型で生きていて、

おしゃれや化粧にダイエットを研究するような
女子力はほとんどないままさほどの努力もせずに過ごしている。

 

だから、「きれいですね」と言われて、

自分の恵まれた容姿に感謝することはあっても、

やっぱり「何もしていない」分、奇妙な戸惑いが残る。

 

 

でも、わかったのだ。

 

「賢い」は、わたし自身にとって、自分の努力の結果だと感じていることが。

 

 

 

できない自分に繰り返し絶望しながら、英単語をあたまに叩き込んで、

どれほど時間がかかったかわからない「論理的」な思考をつかむまでの苦しみ。

 

大人になってから、習得する言語の
効率の悪さと地道な積み重ね。

 

 

周りが、あっという間にTOEFLの目標スコアを取って
次々大学院に入っていく横で、

 

わたしは、

どれだけ時間をかけても、

目標の点数がとれなかった。

くやしくて、くやしくて、

それでも、ある一線を越えられない
自分がいた。

 

 

最後は結局なにもかも途中で諦め妥協して、
低い点数でも入れる学費の安い、公立大学に
そのままわたしは入学した。

 

わたしの人生を、まるごと表しているような
結果だった。

 

 

 

 

くやしくて、できない自分が本当に辛くて、

アイビーリーグの大学で研究をしていた元旦那さんに
ずっと嫉妬しながら、

 

「わたしは出来ない」にとらわれて過ごし、
コツコツ、コツコツ大学の授業に出て、

コツコツ、コツコツ、

ライティングの練習をして、

 

わたしの英語の力や

考える力は、

 

おそらく、地味に、ちゃんと上がっていったのだ。

 

 

 

わたしは、それでも、

純粋に、勉強が好きだった。

 

言葉を学ぶことが、

ただ、ただ、

いつまでたってもどれだけ苦しくても、

 

好きなのだ。

 

 

自分の無知を知ることほど、

楽しいことはないと、

今も昔も変わらずにそう思っている。

 

 

 

 

わたしはだから、

「頭が良い」という褒め言葉が、

ある意味苦しんだ自分にとっての
勲章のようなもので

 

当時を思い出しても、
自分の辛抱強く努力した時期は

この先もきっと、

ずっと宝物のままなんだろう。

 

 

Bohrの3人で過ごした時間は、

その特別な、

もがきくるしみながら

ひとつのことに取り組んだ、

わたしの遅れてやってきた、

青春だ。

 

 

 

 

 

 

 

もともと持っている天性の質や才能は、

もちろん大切なこと。

 

 

でも、ヨガをやりはじめて初めて知った、

「身体はきちんと応えてくれる」感覚や

 

積み重なって必ず報われる
その「おなじことを淡々とつづける」大切さ

 

ひとつひとつの感情に目を向けて
味わい尽くしていくことも、

 

なにもかも、

まったく同じだとわたしは思う。

 

 

 

地味な裏方仕事はあまり魅力的に見えないかもしれない。

 

 

「楽しいことだけやって、夢を叶える」

 

みんなが、そこだけに、目を向けたがる。

 

 

 

でもわたしは、

誰にでも平等に与えられたその
コツコツ積み重ねるだけというチャンスこそが、

 

唯一の

「希望」だと、

そう思っている。

 

 

「感じる」に、センスも才能も関係、ない。

ひとは、もともと「感じる」ために、うまれてきた。

 

それを、取り戻す、思い出すプロセス。

 

 

それはそれは地道で苦しい作業だが、

 

それは、

ひとつ自分の手で小さく
実感するごとに、

 

確かな自信となってゆく。

 

 

 

 

そこに、
しっかりと自分をコミットできるかどうかが、

 

 

結果的に望むものを手にする

分かれ道だと、

 

わたしは変わらずに思いながら、

これからもひとつひとつの事に

 

とりくんでいこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

いろいろなことを思い出すことができた
チャーリーと、 Bohr との再会。

 

これからまた、

新しい喜びと

「好き」の積み重ねが、

 

 

始まる。

 

 

 

 

 

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