迷えるマミーたち①

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プロフィール欄にも書いてありますが、わたしはニューヨークに住んでいた時期、「料理」を生業としていました。そしてその仕事を辞めてから少なくとも4年以上は経っています。

今朝「食」についての質問がひとつ届き、それが最後のキッカケとなり、ここずっと自分のなかでうまく言葉にまとめられなかったことが、ついにスルスルと紐解かれていきました。
わたしは料理の仕事から離れたのちも、子供に「食」の話をする機会を与えてもらったり、個人的に料理を教えたり、度々「食」に関わる活動をさせてもらってきました。

でも、どれだけ人に言われても、ありがたいお誘いをもらっても、自分のなかに今後それをもう一度仕事としてやっていく、という選択肢は産まれず、そのモヤモヤがどこから来ているのかずっと考えてきました。

 

子供を生んでからも、いかに離乳食や小さな子供へのFeedingで世のマミーたちが迷いながら悩んでいるのかということを改めて知りましたが、

自分にできることが何かはっきりしないもどかしい気持ちを抱えていました。

自分の持っているもので、ひとが必要としていることが必ず何かあるはずなのに、それが何なのか、どのような形で伝えるべきなのか、わからぬままずっときたのです。

 

その後、「食」はどうしても今後のライフワークとして繋がらなかった自分は、セラピストとして活動を始めました。ヒプノセラピーを通したココロ、魂についての学びはそれはそれは夢中になってのめり込むほど「出会った」感がありましたが、自分の内側がクリアになればなるほど、なぜか離れたはずの「食」は、自分の中に確たる存在感を増していくように感じていたのです。

数週間前に、やっと少し迷いが吹っ切れたときがあって、

「自分にできることからなんでもいいから始めよう」という気持ちになりました。そのタイミングで「食」に関するお話会のようなものの企画の話をもらったりしながら、不必要な感情を手放す作業を続けていました。

 

そして、先日たまたま友人の主催するスーパフードとカテゴライズされる食材を使ったスイーツの会に参加させていただきました。

もともとパティシエをされていたらしい方の作るデザートはとても美味しく、その場自体は十分楽しむことができましたが、かねてから感じていた「違和感」が遂に、ハッキリと目の前に突きつけられた瞬間でした。

 

その時から、自分がどこに「違和感」を感じているのか、そしてそこからつまりは、「ならば自分が伝えたいことは何なのか」という部分へ深く掘り下げる必要があったのです。

そしてこれは、自分がもし「日本」で暮らすことを選択していなかったら、必要のなかったことでした。どの角度から感じるモヤモヤも、日本以外で暮らしていたときはほとんど感じなかったからです。
では、「お話会」でいったい、自分は何を話すのか?と考えた時に、ひとつだけハッキリしていたことは、間違ってもそれが「料理教室」ではないということでした。

「料理教室」自体が良い悪いの話ではなく、役割の問題です。

「食」について人を集めて、何かを伝える、ともなれば、まず考えられる定番は、「作り方を教える」ですよね。ところがどっこい、自分が、

レシピを紹介し、食材を紹介し、料理のレシピを教えることを想像すると、「オエッ」となるのであります。笑

 

世の中で活躍されている素晴らしい料研究家の方はごまんといらっしゃいますし、わたしが「ニューヨークのベジタリアンレストランのレシピ!」とリアルに打ち出すことも、まあ出来ないことはないかもしれないですが、そもそもワクワクするどころか「おえっ」ですから、出来るわけがありません。

 

②に続く

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