”僕は、幸せだよ?”①

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戸棚に、ディズニーランドかどこかのお土産の、お菓子の缶がが置いてある。
そのお菓子を食べようと、缶に手を伸ばした父。

そして、それを眺めていた小さいころのわたし。
父は缶を手に取るが、中身はカラ。

物入れに使っていたのか、何も入っていたのかまではわからない。

そのまま父は何ごともなかったかのように缶を元に戻す。

 

それを見たわたしは、言葉では言い表しがたいほどの胸のざわつきを覚える。

 

父に対して、激しい感情。

「かわいそう」?「恥ずかしい」?

とてもわたしの知っている言葉の範囲では表現できない、
「見てはいけないものを見てしまった」かのような。

この場面について、「一体なんなんだろう」と
いままで漠然と疑問を投げかけたこともきっとあったが、日常生活に支障はない。

 

話はかわり、現在一歳の息子は、とにかく元気にもりもり食べる。
とっくの昔にすんなりおっぱいから離乳食に移行した彼。

わたしの「食」に対する執着も手伝って、いついかなる時も彼がお腹を空かせることのないように細心の注意を払っていた。

これは子育てが初めての私にとって、普通で当たりまえだと思っていたし
それは実際そうだるおが

普通のお母さんの感覚、ほんの少し、通常の心配や愛情の域を超えている。

子供はいつも腹一杯3食おやつも食べて、十分すぎるくらいに満足しているにもかかわらず、わたしはどこかでいつも「おなかを空かせていないか」と漠然とした不安を抱えていた。

 

前世の記憶に何度もアクセスしていて
たくさんの場面をみてきて

日々、何かがあるごと過去生と結びつけてみていた時期。

自分がいつかどこかで「飢え」に苦しんだ記憶から来ているのかもな〜と、
その背景に隠れた原因をなんとなく感じ取ろうとしていた。

 

が、これもまた特に日々に支障があったわけではない。

「わたしはとにかく食べることが好き」で済んでいた。

 

 

息子はわたしが食べているときも、足にまとわりついてくるので、
近くの床に犬の餌のようにして、彼のお皿に少しビスケットとお茶を置いておく。

その場所を通り過ぎる度に飲んだり食べたりして、また遊びにいく息子。
そしてその日も、途中までいつもの風景だった。

 

 

 

 

ビスケットを全部食べてしまって、なにも乗っていないお皿。
飲み物のボトルやストローで、遊ぶ息子。
むすこは、無意識に、空のお皿に手を伸ばしていた。

ぴょこっと手がでて、「あれ、もうない・・」そしてボトルで遊び、

また、ぴょこっとお皿のうえを手で探って確認しています。

 

ーーもう、ないのに。

 

この風景、普通だったら、
”小さな赤ちゃんが食べちゃった空っぽのお皿を不思議そうに見つめてる
とっても愛らしい成長の一コマ”

 

なのだが、

 

父の空っぽの缶の記憶と即座にリンクした。

 

わたしはその様子を見ながら、ものすごく動揺した。

 

だからといってそこでビスケットを追加するとか、そういう問題ではなく、
ただただ、ぞくっとするようなザワザワを内に感じ始めた。

込み上げるような、たまらない感覚にわけもわからず

涙がにじむほどの強い反応。

 

そしてそれが、父の場面を見た時とまったく同じであった。

 

こんなことがあった数時間後に、感情の解放のセッションだった。
この数週間と、数日前に出てきた大きな気づき
(母に対する新たな根深い感情。)などについて一通りシェア。

 

わたしの人生のなかで「母からの影響」があまりにも強く、
ありのあまの自分を否定され続けてきた(と感じ続けていた)わたし。

自分に自信を持てないのも、自分は愛される価値がないと思い続けてきたのも、
小さいころずっと死にたいと感じながらギリギリで生きていたことも、
全て「母のせいだ」と感じていた。

そんな母に対する怒りの感情も、20代のころから何度にも分けてインナーチャイルドを癒し今では大分軽くなっている。

そして今回も、数日前に驚くような「母に対する本音」が出てきて、
嗚咽するほど泣き、感じ切ったところだった。
というわけで、「楽天家で理解のあるおおらかな父」に関しては
今まで完全にノーマーク。

とはいえ、自分のなかに、「理解してくれサポートしてくれる完璧な父」と、
「こんなひとと結婚してかわいそうな母」という完全なる矛盾が生じていることにも、

そろそろ気づきはじめてはいた。

 

 

セッションが始まり、

「母に対して自分がこんな風に感じていたなんて、ショックでした」

「そこについてはしっかり感じ解放したのですが、まだ何かすっきりしない部分を感じます」

などなど。

そして、先ほど書いた、原因のわからない強い反応について
その時点でこれ以上自分のなかでは掘り下げることもできず黙っていた。

 

 

カウンセリング時は、
「過去生で、飢えに苦しみながら亡くなったりしてるかもしれないね」との話も出たが、
あらためて、でてきたもの。

 

「自分が飢えに苦しんだ、というより、お父さんがまいちゃんの息子で、
餓死させてしまったとか、そんなイメージかも」

 

自分のセッションでも、過去生の体験、記憶について触れることはある。

リーディング能力のある方がクライアントさんの潜在意識につながるか、
クライアントさん自身が潜在意識と繋がってその記憶にアクセスするかの違いなだけ。

ひとの潜在意識は深い部分で共有している”集合無意識”と呼ばれる域があり、
そこでつながることは特に驚くべきところではない。

 

そして、人間の細胞には7代前からの先祖の記憶が刻まれているとのこと。

なので、その今出てきたイメージが、過去生のものなのか、
先祖の記憶なのかはハッキリではないが、とのことだった。

感情を感じていくとき、癒しが起こっていくとき
その「記憶」が事実かどうか、それが先祖のものなのか、そこはあまり重要ではない。

あくまでも、「今」この瞬間に、癒すべき内容として、出てきたものをそのまま受け止め感じていくことがメインの目的である。

 

そしてもう少し見てもらうと、

「うん、やっぱり大きなお屋敷のようなところにいて、まいちゃんはお妾さんのような感じで、大事に大事に息子を育ててたんだけど、飢え死にさせてしまったというよりかは、

ほかのひとに毒を盛られて亡くなってしまって、
それでとてつもなく自分を責めてしまっているようなそんな感じ。」

 

 

vol.2 に続く