天に助けを求める

 

どんなスピリチュアルな本を読んでも、
どんな著名な心理学者のブログを読んでも、
どんな賢人の知恵を浴びても、

そして、彼らの言っていることが全て、全て
理解できても、

全て、理解、できるのに、

からだが、たましいが、「わからない」と

激しく抵抗しているとき

 

それは、本当の意味で、

「理解」はしていないということです。

 

「愛」「感謝」「許し」

言っていることは、全て、ただしいのだと頭ではわかる。

(本当の真実を言えば、
「正しいこと」というのは存在しませんが)

 

 

 

そんなときが最も苦しいはずです。
あたまでは、わかっているけど、
でも、『愛』なんて、どこにも見当たらないし、
どこにも、『やさしさ』なんて、感じられない

そんな絶望の淵に立たされるとき

 

参考にどうぞ

 

 

チャックスペザーノというハワイの心理学者の本から

 

次の記事に別にしますので

Day 84  <天の助けを>

 

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誰にでも、出会ってからずっとバイブルのように
愛し続けている本が1冊か2冊はあるかとおもいます

 

本なんていうのは
マンガか雑誌かしかほとんど読まずに大人になった
松永まいという人間にも

出会ったときから
ボロボロになるまで持ち歩いてなんどもなんども
読み続けている本が数冊あります

そのうちの一冊が
傷つくならばそれは愛ではない

です。

苦しんでいる知人に、自分の読んでいたのをそのまま
渡したこともあるし、引っ越し先に忘れて
また注文したこともあるし、
英語版も一緒に大切に持ち続けている
名書、です。

 

そして、ときに、
真髄に触れているものは、
段階によっては
読んでも読んでも理解できないことがあります。
この本に書いてあることも、
そのひとそれぞれが在るステージによって、すっと入ってくる内容と、

イマイチ抽象的すぎてわかりにくい内容があるかと思います。

 

わたしにとっても、

ひとつ、ひとつ、魂の学びが深まるたびに、

ひとつのページを本当の意味で理解できるようになったり
前に読んだときと全く印象が違って感じたり

いまだになんとなくわかるけど
自分の人生を振り返って全然体感できてないな、
と思うページもたくさんある

 

そんな本です。

 

 

 

そして昨晩から今朝にかけて、

引き続き古い長年の痛みがひとつまた、浮上して

それを目一杯身体中に感じていったとき

 

あまりの絶望と、全てを飲み込むような
激しいネガティブな感情に、

とてもじゃないけれど
「自分をいたわろう」とか
「自分に優しく」

「悲しみも怒りもどれも大切」

なんて
一切の効力を発揮しません。一ミリも。

 

ただただ、床に突っ伏して、
胸から喉へかけてヘドロのようなかたまりがうごめき、
完全に身動きのとれない状態。

 

「自分でしか、自分を癒すことはできない」

これは、たしかなことです。

 

でも、そんなレベルじゃない状態へ
真っ逆さまに落ちたら?

 

 

わたしはこの本を、何度も何度も読んでいるので、
ふとした時に記憶からひっぱりだして参考にすることが
確かにありました。

 

しかし、今日シェアした「天の助け」というフレーズは、
あまりに漠然としすぎていて、ついでに言うと
「神頼み」的な非現実さが過去は嫌いでした。

 

クリスチャンの、

(特定の宗教に限らずですが)

「神に祈ればなんとかしてもらえる」という他力本願に、

「いやいや祈る前になんかやることあるでしょ」と突っ込みたくなる性分も手伝って、

「天の助け」のページはさらっと読み流した程度。

著者の信仰の色も入ってるかな?くらいに思っていました。

 

 

ところが今朝、

もう、自分ではなんともならない大きさのエネルギーのなかで
消えてなくなりそうだった瞬間

 

そのページでうたわれていたことが
ふっと脳裏に蘇ったのです

 

そのとき、わたしは、もう「自分」でなにかをすることを
完全に手放しました。
というか、もう、「自分」でなにかをしようとすること自体、

間違っていたのだ、と「宇宙」にあとは委ねることをした、
瞬間でした。

 

 

まず最初は、「助けて!助けて!だれでもいいから、助けて・・・・」

とこころのなかで叫びました。
(実際に叫んでいたかどうかもわからないくらい混乱してました。

口に出したかも。息子が側にいたから)

 

 

すぐに来てもらえるような相手も、電話をして話をきいてもらうような相手も、

とてもじゃないけれど冷静に探せるような次元じゃありません。

 

 

本当に本当に苦しいときは、
「だれかに助けを求める」ことができるような状態にないからです。

 

そしてわたしは、
セラピストの仲間や先生、親しい友人などの顔を
あたまに思い浮かべながら、全員に対して、
メッセージを送りました。

「助けて」

と。

 

だれかが、一ミリでも感じ取って、
なにか送り返してくれるだろうと

それがたとえ目に見えぬかたちだったとしても、

そうただただ思いながら、

「たすけて・・・」

 

と、そう、他力本願。

 

そしてその先に、

「天に、助けを求める」 がありました。

自分でなんとかしようとするのを諦めて、

天に、はたまた「神」に、そして

「宇宙」に、

すべてをあけ渡しました。

 

 

そして、しばらくして、

すうっとゆっくり落ち着きをとりもどし、
無事に一日を終えることができた今日。

 

「神に祈る」ことも「天に助けを求める」ことも

今回おそらくはじめて

実際素直にこの体を通して

感じることができたのではないかとおもいます。

 

そう、それが、

「理解」した、ということです。

 

 

ちいさな階段を、なんどもなんども

転げ落ちながらも、一段一段登ってゆく。

 

 

そしてこの本に書かれていることが、

すべて深く、「理解」できる日がくることを

楽しみに待ちながら。